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『第23回NHK紅白歌合戦』(だい23かいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1972年12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算23回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == *放送用ビデオテープはこの当時(録画設備を含めて)非常に高価であったが、NHKは今回から制度的な紅白の収録並びにVTR保存を開始。今回を含めて、以後は全て鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが残っている。今回はそのカラーのビデオ映像の完全版で、後年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。 *この年5月15日、米国施政権下にあった沖縄が27年ぶりに沖縄県として本土に復帰。これにより、沖縄放送協会から継承した「新生」NHK沖縄放送局が総合テレビ・ラジオ第1放送での同時放送を開始(ただし、先島諸島ではラジオ第1放送のみ同時で、テレビは翌元日に時差ネットで放送された)。 *両軍司会は佐良直美・宮田輝(3年連続)が担当。 *紅組司会は実際選出の佐良(佐良の起用は前回も取り沙汰されたほか、前回では紅組司会兼任の水前寺の歌手出番の曲紹介を和田と共に担当した)、前回担当者の水前寺清子(翌年の第24回で佐良に替わって紅組司会に2年ぶりに復帰。なお同回における水前寺の歌手出番の曲紹介を佐良が行った)、和田アキ子で争いとなった〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』〕。 *直前の『第14回日本レコード大賞』でちあきなおみは「喝采」で日本レコード大賞を受賞。 *同じく『第14回日本レコード大賞』で和田アキ子は「あの鐘を鳴らすのはあなた」で最優秀歌唱賞を受賞していたが、同曲はベトナム戦争の反戦歌の疑いが強く、別の「孤独」が選曲された。 *白組トップバッターおよび先行トップバッターは前回まで3年連続で白組トリを務めた森進一が務めた。前年のトリ担当者がトップバッターを務めるのはこの事例が初めて。 *バックダンサー「スクールメイツ」から誕生した3人組ユニット「キャンディーズ」がデビューした(デビューはこの年春にNHKでスタートした『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして、担当のプロデューサーが命名した。歌手デビューは翌1973年9月「あなたに夢中」、歌手としての紅白初出場は3年後の第26回(1975年))。 *絶大な人気を誇り初出場を果たした天地真理が紅組トップバッターの大役を務めたが、歌唱後に美空ひばりが駆け寄り「あなた、堂々として良かったわよ」と声をかけてくれ驚いたと後に語っている。このひばりの言葉は台本にはなかったという。 *本田路津子はこの年の連続テレビ小説『藍より青く』の主題歌「耳をすましてごらん」を歌唱。 *初出場の上條恒彦は熱唱のあまり、かけていた眼鏡が床へ飛んでしまうハプニングがあったがレンズは割れずに済んだ。そのバックには小室等がギターで、そして、上條を輩出した『ステージ101』のレギュラー「ヤング101」がコーラスで参加した。この「ヤング101」のメンバーの中に、後にソロデビューした田中星児・一城みゆ希・太田裕美・谷山浩子らが混ざっている。 *橋幸夫の歌唱曲「子連れ狼」はレコードでは若草児童合唱団がバックコーラスを担当しているが、放送時刻の関係で紅白ではスクールメイツとキャンディーズが担当した。 *佐良が歌手として出演する際の曲紹介は佐良自らが行った。 *この年デビュー10周年を迎え、10年連続出場を果たした北島三郎が初めて白組トリを務めた。 *美空ひばりは史上初の10年連続紅組トリ(6年連続大トリ)担当。4年連続でのトリ(大トリ)担当は第61回(2010年) - 第64回(2013年)のSMAPまで途絶えることとなった(紅組ではひばりのみとなっている)。トリ13回は北島、五木ひろしに並び最多(紅組に限れば単独で最多)、大トリ11回は北島と並び最多(同じく紅組に限れば単独で最多)、10年連続トリおよび6年連続大トリは連続トリ・大トリ担当の最長記録である。 *また、今回のひばりを最後に紅組歌手の3年連続の大トリ担当は途絶えている。 *今回の曲順の結果から北島と森は史上初のトップバッターとトリの双方経験者となった。 *NHKの放送会館内の特設スタジオに電話オペレーターを置き、全国数ヶ所の一般審査員制を導入したのは今回から(この方式は第26回(1975年)から復活し第31回(1980年)まで行われた)。 *優勝は紅組。 *平均視聴率は80.6%(関東地区、ビデオリサーチ社調べ)で、紅白史上第2位(関東地区の歴代視聴率2位)の視聴率を記録した。 *東京宝塚劇場での開催は今回が最後となった。翌年の第24回からは会場をNHKホールに移した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第23回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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