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第24回有馬記念は、1979年12月16日に中山競馬場で施行された競馬競走である。TTG唯一の現役だったグリーングラスが優勝した。年齢は全て旧表記(数え年)にて表記。 == レース施行時の状況 == 1979年の中央競馬。古馬情勢は前年のダービー馬サクラショウリが中心となり、春先は安定した成績を残した。天皇賞・春はTTG世代の生き残りのカシュウチカラの2着に屈したものの、適距離の宝塚記念ではバンブトンコート等を相手に完封。しかし、サクラショウリは天皇賞・秋を宝塚記念以来久々のレースとなった事が祟ったのか、不良馬場に脚をすくわれ5着敗退。レースは、フジノパーシアの半弟・スリージャイアンツがメジロファントムとの一騎打ちを制し、境勝太郎調教師は騎手時代にクインナルビーで制して以来の八大競走勝利となった。 4歳クラシック路線では、皐月賞はビンゴガルーがカツラノハイセイコを競り落とし優勝。ダービーではカツラノハイセイコがリンドプルバンの追撃を辛くも振り切り、3着に敗れた父・ハイセイコーの無念を晴らした。菊花賞ではカツラノハイセイコは出走断念するが、ビンゴガルーとリンドプルバンが出走。レースはハシハーミットと2着ハシクランツの同一馬主・同一厩舎のワンツー、ビンゴガルーとリンドプルバンは3着・4着に終わった。 この様なシーズンのフィナーレを飾る1979年の有馬記念には、以下の名馬達が出走する事となった。 4歳(クラシック)世代では、一番の目玉であったカツラノハイセイコが休養の為に参加ならなかったものの、皐月賞馬ビンゴガルーを筆頭にリンドプルバン・ハシクランツのクラシック組の他、クラシック参戦権の無い外国産馬ボールドエーカンの4頭が参戦。 5歳世代では、この年の古馬戦線の中核を担ったサクラショウリ・メジロファントム・バンブトンコートの他に、前年の菊花賞馬インターグシケンが長期休養からオープン戦を一戦叩いて参戦。さらに休養明けであるものの、前年に南関東公営競馬で「三冠」を達成し中央に移籍したハツシバオーも参戦した。 6歳世代では、前年の天皇賞・秋制覇のテンメイが、母トウメイとの有馬記念母子制覇に挑戦。前年有馬記念4着であり中距離路線で活躍していたカネミカサも、重賞2勝(中山記念・アルゼンチン共和国杯)を引っ提げ参戦。秋に復帰した前年の有馬記念馬カネミノブも、スピードシンボリ以来のグランプリ連覇を目指し調子は上昇。その前年有馬記念2着のインターグロリアは、前哨戦の京都牝馬特別を勝っての参戦となった。 TTGを筆頭とする最強世代を謳われた7歳世代からは、グリーングラス・ホクトボーイ・カシュウチカラの天皇賞馬が参戦。特に、グリーングラスは脚部不安でこの年の1979年は3戦しかしていないが、秋にオープンを1回叩いての参戦。因みに、このオープン戦には当馬の他にインターグシケン・ホクトボーイらが出走。結果はメジロイーグル(メジロイーグルはこの結果で次走の天皇賞・秋は1番人気で出走したものの、不良馬場が祟ったのかブービー惨敗を喫している)の逃げ切りで、2着以下はグリーングラス・インターグシケン・ホクトボーイの順。因みに、グリーングラスはこの有馬記念で引退する為、前年有馬記念6着からの巻き返しと引退の花道を飾るべく、鞍上を主戦の岡部幸雄から大崎昭一に変更しての参戦となった。 この年の有馬記念は、有馬記念史上初の16頭フルゲートによる一戦となった。 人気は1番人気は春の好成績が評価されサクラショウリ、僅差の2番人気にはTTG最後の生き残り・グリーングラス、3番人気にビンゴガルーが安定した成績で高い支持を得た。4番人気以降ではインターグロリア・インターグシケン・メジロファントム・カネミノブが、対抗勢力として名を連ねていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第24回有馬記念」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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