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第27SS義勇擲弾兵師団 : ウィキペディア日本語版 | 第27SS義勇擲弾兵師団
第27SS義勇擲弾兵師団 ランゲマルク(フラマン第1)(独27. SS-Freiwilligen-Grenadier-Division "Langemarck" (flämische Nr. 1))は、第二次世界大戦中のナチスドイツ武装親衛隊の師団。1944年秋に第6SS義勇突撃旅団「ランゲマルク」(6. SS-Freiwilligen Sturmbrigade "Langemarck")が師団へと昇格して誕生し、1945年2月から東部戦線で戦った。 師団の原点である義勇部隊「フランダーン」(SS-Freiwilligen Legion Flandern)は1941年に創設され、東部戦線のレニングラード戦線に従軍し、1943年に解隊・再編成を経て旅団へと昇格した。 ==義勇部隊設立の背景==
1939年、ドイツ国防軍の電撃戦によるポーランド侵攻が成功すると、当時の西ヨーロッパ諸国における各種ファシスト政党、親独団体の有力者たちは、ドイツこそがボルシェビキ問題を解決する存在であると見做した。また、親衛隊全国指導者ハインリッヒ・ヒムラーは、自分の支配組織である親衛隊に、いわゆるゲルマン民族に該当する外国籍の兵士を入隊させることを計画していた。そのため、1940年にドイツ国防軍が北欧侵攻と西方戦役を完遂すると、ヒムラーは総統アドルフ・ヒトラーの許可を得て、SS本部長のゴットロープ・ベルガーとともに計画の実行に踏み切り、北欧、西欧諸国出身のゲルマン系兵士を武装親衛隊に入隊させ始めた。これを受けた北欧、西欧諸国の各種ファシスト政党、親独団体の有力者たちはそれぞれの国における義勇兵募集運動の中心となり、1940年末までには一定数の外国人が武装親衛隊へ志願した。こうして募集初期に集まったデンマーク、ノルウェー出身の義勇兵は主にSS連隊「ノルトラント」に配属され、オランダ、ベルギー(フランダース)出身の義勇兵は主にSS連隊「ヴェストラント」に配属された。この2個連隊は「ヴィーキング」師団の基幹となった。 1941年4月3日、「ノルトラント」および「ヴェストラント」連隊とは別の新たなSS義勇連隊「ノルトヴェスト」(SS-Freiwilligen-Standarte Nordwest)の創設命令が下った。この連隊は主にオランダおよびフランダース出身の義勇兵によって構成され、5月21日の時点で約600名が所属していた。フラマン人義勇兵は「ノルトヴェスト」連隊の第1、第6、第8中隊に割り当てられ、ドイツのハンブルクにおいて基本訓練に従事した。その後、彼らはさらなる訓練のためにポーランドのラドムとデビカ(Dębica)へ送られた。
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