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第29SS武装擲弾兵師団「イタリア第1」(だい29ぶそうてきだんへいしだん―、独: ''29. Waffen-Grenadier-Division der SS (italienische Nr. 1)'')は、ドイツ軍武装親衛隊の38師団のうちの1つであり、主にイタリア人により構成されている。師団シンボルはローマ時代の武器である束桿(ファッショ)の絵である。この師団は1944年9月に形成され、武装SS擲弾兵旅団 イタリア第1が師団規模に改変された。 ==概要== ===経緯=== ドイツ軍は以前から占領下での兵員集め、および同盟を結んでいる国々からの直接の援軍以外の軍事支援を求めて武装親衛隊内に義勇兵部隊を組織していった。慢性的な戦力不足に陥った大戦末期にはその動きは一層に過熱していき、1944年8月にはフランス人の義勇兵師団「シャルルマーニュ」が結成されている。こうした流れからイタリア戦線の形成とイタリア社会共和国の成立に伴い、旧イタリア王国領の北部・中部に進駐した親衛隊はイタリア人の兵員による義勇兵師団が計画された。 1943年10月2日、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは武装親衛隊の兵員召集を一任していたゴットロープ・ベルガー親衛隊本部長官と共にイタリア人隊員の編成を構想し〔RF-SS, Tgb.Nr. 35/143/43 g. vom 2. Oktober 1943〕。アドルフ・ヒトラー総統及びベニト・ムッソリーニ社会共和国統領に提案された。初めはイタリア社会共和国(RSI)軍のベルサリエリ兵を中心にした部隊が予定されていたが、後にイタリア進駐時に拘束されていた旧イタリア王国軍捕虜の内、まだRSI正規軍に編入されていない者から編成される事になった。 ドイツ南部のムンツィンゲン練兵場で1万5000名の捕虜に対する訓練が行われ、その中から6000名が選抜されてイタリア人親衛隊員となった。ムンツィゲンではRSI正規軍と共に訓練を受けたが、RSI正規軍があくまで訓練様式や装備をドイツ式にしたのみで、忠誠は従来通り祖国とベニート・ムッソリーニ(或いはファシズム)に誓っていたのに対し、親衛隊員に選抜された兵士にはナチズムとヒトラーに忠誠を誓う様に再教育が施された。訓練で親衛隊に不適当とされた残りの9000名は黒い旅団などRSI軍の治安部隊に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第29SS武装擲弾兵師団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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