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第二次ベララベラ海戦[だいにじべららべらかいせん]
第二次ベララベラ海戦(だいにじベララベラかいせん、Battle of Vella Lavella)は、太平洋戦争中の1943年10月6日にソロモン諸島のベララベラ島沖で発生した海戦である。日本軍のベララベラ島撤収部隊とアメリカ軍が交戦し、双方駆逐艦1隻が沈没した。アメリカ軍側の呼称はベララベラ海戦。 ==背景==
8月15日にベララベラ島に上陸したアメリカ軍と、アメリカ軍と入れ替わりで増派されたニュージーランド軍は圧倒的な兵力で日本軍守備隊に圧力をかけ続け、9月に入ってから二手に分かれて攻勢に転じた〔『戦史叢書96』304ページ〕〔ニミッツ、ポッター、169ページ〕。当時ベララベラ島にいた日本軍は、陸海軍および付近海域で遭難しベララベラ島に到達した艦船乗員など合わせて629名であり〔〔『第一輸送隊戦闘詳報』C08030205400, pp.3〕、寡兵をもってニュージーランド軍と交戦し続けたものの〔、徐々に島の北西部に追い詰められていった〔〔。舟艇などによる補給輸送がことごとく妨害され、水上偵察機によってわずかに補給を受けているに過ぎず、その運命は時間の問題と考えられるようになっていった〔。9月28日には、第十七軍(百武晴吉中将)と南東方面部隊(草鹿任一中将)〔『戦史叢書96』386ページ〕から、決別とも解釈できる電文が送られた〔〔『第一輸送隊戦闘詳報』C08030205400, pp.20,21〕。そもそもベララベラ島守備隊はコロンバンガラ島守備隊のバックアップ的な存在であったが〔『戦史叢書96』305ページ〕、コロンバンガラ島守備隊はセ号作戦で撤退を完了し、その役割も終えることとなった〔。第八艦隊の撤退方針に対し、上級司令部の南東方面艦隊(第十一航空艦隊)は作戦延期を指導、第八艦隊参謀長がラバウルに飛んで懇願した結果、鶴屋部隊の撤退許可がおりる〔#ソロモン海「セ」号作戦219頁〕。10月6日にはベララベラ島からブインへの撤収が急遽行われることとなった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次ベララベラ海戦」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naval Battle of Vella Lavella 」があります。
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