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第2次上海事変 : ウィキペディア日本語版
第二次上海事変[だいにじしゃんはいじへん]

第二次上海事変(だいにじシャンハイじへん)は、1937年昭和12年)8月13日から始まる中華民国軍の「日本租界」〔上海共同租界と隣接地区のうち閘北虹口楊浦などの俗称。〕〔当時の上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた。〕への攻撃とそれに続く日本軍の反撃である〔同事変の間、両国は互いに宣戦布告を行わなかった。。中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。〕。上海戦(シャンハイせん)とも〔太平洋戦争研究会編『図説 日中戦争』河出書房新社,2000年,72頁。同書では「上海の戦い」とも表記されている。「上海戦」の呼称については、阿羅健一『日中戦争はドイツが仕組んだ―上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』小学館、2008年でも使用されている。〕。中国側の呼称は淞滬會戰(淞沪会战)
盧溝橋事件により始まった華北(北支)での戦闘は、いったんは停戦協定が結ばれたものの、7月25日の廊坊事件で停戦が破られると、26日の広安門事件で日本人に犠牲者が発生し、29日の通州事件では民間人を含む230名が虐殺されたことにより、武藤章田中新一ら拡大派が、石原莞爾河辺虎四郎ら不拡大派を押し切った。この事件以後華中(中支)において交戦が拡大することになった。
==背景==

===中華民国の戦争準備と装備===

中華民国に駐在していたドイツ軍事顧問団団長ファルケンハウゼンは、「中国の敵は日本が第一、共産党を第二」と考え、1935年10月1日、漢口上海にある租界の日本軍に対する奇襲を提案し、1936年4月1日、「今こそ対日戦に踏み切るべきだ」と蒋介石に進言し、北海事件後の9月12日には河北の日本軍を攻撃するよう進言した〔阿羅 (2008)、41頁〕。
1935年冬、国民政府は、南京・上海方面の「抗戦工事」(陣地)の準備を張治中に密かに命令し、優勢なる兵力をもって奇襲し上海の日本軍を殲滅しこれを占領し、日本の増援を不可能にしようと企図した〔支那事変陸軍作戦、280頁 《抗戰簡史》より引用〕。このため、上海の各要地に密かに堅固な陣地を築き、大軍の集中を援護させ、常熟呉県洋澄湖、を利用し、主陣地帯 (呉福陣地: 呉県と福山(中国語版)の間)と後方陣地帯 (錫澄陣地: 江陰と無錫の間)〔支那事変陸軍作戦、280頁 《抗戰簡史》より引用〕、淞滬線: 呉淞と竜華の間、呉県から嘉興を通って乍浦鎮の間(呉福延伸線)にトーチカ群が設置された〔阿羅 (2008)、48頁〕。阿羅によれば、呉福陣地や錫澄陣地は、「ヒンデンブルク・ライン」と総称された、という〔阿羅 (2008)、49頁〕。
1936年、幹部参謀旅行演習を実施し、龍華徐家匯、紅橋、北新涇、、閘北停車場江湾、大場江湾、の各要点における包囲攻撃陣地の構築、呉福陣地の増強、京滬鉄道の改修、後方自動車道路の建設、長江防備と交通通信の改善、民衆の組織訓練等を行った〔支那事変陸軍作戦、280頁 《抗戰簡史》より引用〕。1936年末頃から、1932年の上海停戦協定に違反して、保安隊と称する中央軍を滸浦口(中国語版)-安亭蘇州河黄浦江揚子江に囲まれた非武装地帯に侵入させ陣地を構築していた〔支那事変陸軍作戦、257頁〕。北支事変勃発後、中・南支の情勢が逼迫するなか、上海附近の兵力を増強し、頻繁に航空偵察を実施していた〔支那事変陸軍作戦、257頁〕。
中国軍はドイツ製の鉄帽、ドイツ製のモーゼルM98歩兵銃、チェコ製の軽機関銃などを装備し、第36師、第87師、第88師、教導総隊などはドイツ軍事顧問団の訓練を受けて精鋭部隊と評価されていた〔阿羅 (2008)、78頁〕。1937年8月6日、蒋介石は国際宣伝組織を結成するためCC団陳立夫を上海に派遣した〔家近亮子『蒋介石の外交戦略と日中戦争』、岩波書店、2012年10月24日、ISBN 978-4-00-025865-4、119頁。〕。蒋は同日のに「毒瓦斯をもっていく」と書いており、実際に中国軍による毒ガスの散布は日本軍によって確認されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第二次上海事変」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Shanghai 」があります。



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