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第2次山本内閣[だい2じやまもとないかく]
== 概要 == 1923年(大正12年)8月24日の加藤友三郎首相の急逝、同年9月1日の関東大震災発生という混乱状態のさなかで組閣された。1923年(大正12年)12月27日に発生した虎ノ門事件の影響で総辞職した。 関東大震災の発生時9月1日現在、首相は空席であった。そこで、震災発生直後に摂政宮(後の昭和天皇)の招請により、加藤友三郎内閣で外務大臣であった内田康哉が臨時首相をつとめ、水野錬太郎内務大臣と赤池濃警視総監が当面の責任者とされた。 翌9月2日午後3時に臨時閣議により、臨時震災救護事務局の設置がとりあえず決まった。一段落した午後5時に摂政よりの認証により山本内閣が成立した。11名の閣僚中、錦城学校の卒業生4名(外相:伊集院彦吉、蔵相:井上準之助、鉄相:山之内一次、海相:財部彪)及び、旧教員の文相・犬養毅の計5名が閣僚に含まれていたことから、「錦城内閣」とも呼ばれていた。山之内一次や樺山資英など、薩派により積極的に擁立された内閣でもあった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第2次山本内閣」の詳細全文を読む
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