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第2次若槻内閣[だい2じわかつきないかく]
== 概要 == 当時総理であった濱口雄幸の病状悪化により濱口内閣が総辞職した後に若槻禮次郎が組閣した。 外交においては中国が日本がロシアより獲得した満洲権益を返還するよう求めており、中村大尉事件や万宝山事件が発生し国民の対中感情が悪化、融和路線をとってきた幣原外交に行き詰まりが見え始めていた。内政では世界恐慌でダメージを受け、金解禁後に生糸価格や米価が暴落、大量の失業者が発生し中小企業や農村が窮乏化していた。 1931年9月18日には柳条湖事件を始端として満洲事変が発生。軍の応急派兵の検討に入ったが、19日午前10時の閣議で陸軍大臣南次郎は関東軍増援を提議できず、事態不拡大の方針が決定された。しかし、朝鮮軍は独断で国境を越えた。これに対して予算を付けなければ朝鮮軍の活動は停止せざるをえなかったが、予算を認めてしまい満洲事変が拡大するきっかけとなった。 若槻は安達謙蔵の提案で軍部を抑える挙国一致内閣を作るために立憲政友会との協力を模索させた。その後の閣内相談で閣僚は協力内閣に拒否の意見であったため中止しようとしたが、今度は安達謙蔵が離反、辞職を要求するも拒否された。明治憲法下では首相に閣僚の罷免権がなく閣内不一致を是正する方法がなかったため総辞職することとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第2次若槻内閣」の詳細全文を読む
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