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この項目では1951年5月24日から27日まで宮城野サッカー場(仙台市宮城野区)において開催された天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはいぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)について記載する。なお、第31回大会に当たる本大会から優勝チームに天皇杯が授与されるようになった。 == 概要 == 本大会には全国10地区の予選を経た10チームと協会推薦の4チームからなる14チームが参加。協会推薦の4チームには前回優勝の全関学のほか、慶応BRB、早大WMW、開催地の仙台サッカーが選ばれた〔轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (7)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、114-115頁。〕。 15チームが参加した関東予選の決勝では全立大が東大LBを4-2で下した〔。関西予選の決勝は大阪クラブが京都クラブを6-2で下した〔。 決勝には慶応BRBと大阪クラブが勝ち上がった。慶応BRBは現役学生のみで臨んだ前回とは違い、この年はOB選手を加えた編成となり、OBの二宮洋一を中軸に据え組織的なサッカーを展開した〔鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年。〕。シベリア抑留から帰国した川本泰三の呼びかけにより結成された大阪クラブは関西在住の大学OB選手からなるクラブチームで、ベテランらしい緩急のついた技巧的なサッカーを見せた〔。 決勝戦は2-2で延長戦に入り、延長後半に慶応BRBが挙げた3点目が決勝点となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第31回天皇杯全日本サッカー選手権大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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