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第58回都市対抗野球大会(だい58かいとしたいこうやきゅうたいかい)は、1987年7月26日から8月5日まで後楽園球場で開かれた都市対抗野球大会である。 ==概要== *翌1988年には後楽園球場の隣に日本初の屋根付き球場である東京ドームが完成し、都市対抗も東京ドームで開催されることが決まっていたため、今大会が後楽園球場最後の大会となった。 *国鉄の民営化で各地に点在していた国鉄(鉄道管理局)チームは、本社支援を受けられる7チーム(北海道、東日本東北、東日本、東海、西日本、四国、九州)に整理された。残されたチームは解散するかクラブチームに衣替えすることとなった。しかし、今大会にはJRチームは出場することができなかった。 *今大会もホームランが乱れ飛び、前回大会で塗り替えたばかりの大会通算ホームラン記録83本もあっさりと破られ、95本のアーチが31試合で飛び交った。 *初出場は野洲町・日本IBM野洲と熊本市・ニコニコドーの2チーム。昨年の初出場チームは快進撃を見せたが、この2チームはいずれも初戦敗退し、常連組の厚い壁に阻まれた。その一方で、日本生命が予選敗退し、連続出場は21年で途絶えた。 *その中で優勝したのは浜松市・ヤマハ。この年に会社創業100周年を記念して社名を「日本楽器」から「ヤマハ」に変更するのに先立って野球部の登録を「ヤマハ」に変えた年に、川島勝司監督が部長から監督に再就任して川崎市・東芝を撃破して15年ぶり2度目の優勝を果たした(川島監督は小野賞を獲得した)。橋戸賞は台湾出身の劉秋農投手。外国籍の選手が橋戸賞を獲得するのは史上初。 *東京都・プリンスホテルの鈴木政明投手は所属チームの休廃部を移籍により乗り越え、実に20年連続出場を果たし、特別表彰された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第58回都市対抗野球大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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