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第5期本因坊戦(だい5きほんいんぼうせん)は、第4期本因坊戦終了後の1948年1月に開始され、1950年3月から行われた岩本薫和本因坊と挑戦者橋本宇太郎による七番勝負で、橋本が4勝0敗で2度目の本因坊位を獲得した。この第5期から、予選トーナメントを経て、挑戦者決定リーグ、挑戦手合七番勝負へ進むという、その後の本因坊戦の仕組みが定着し、また掲載紙の毎日新聞では七番勝負の観戦記を作家が執筆するのが慣例となった。また橋本の本因坊獲得は、その後の関西棋院独立の大きな後押しとなった。 ==方式== *参加棋士 : 日本棋院(関西棋院を含む)の棋士の五段以上。 *五段級予選、六・七段級予選の勝ち抜き者4名と、八段位3名の、計7名による挑戦者決定リーグ戦を行う。 *コミは4目半。 *持時間は、リーグ戦は各10時間、挑戦手合は各13時間。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第5期本因坊戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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