翻訳と辞書
Words near each other
・ 第6回ベルリン国際映画祭
・ 第6回マイルチャンピオンシップ
・ 第6回ユタ映画批評家協会賞
・ 第6回ラグビーワールドカップ
・ 第6回ラグビー・ワールドカップ
・ 第6回ロサンゼルス映画批評家協会賞
・ 第6回ワシントンD.C.映画批評家協会賞
・ 第6回世界大学野球選手権大会
・ 第6回中華民国立法委員選挙
・ 第6回先進国首脳会議
第6回全国中等学校優勝野球大会
・ 第6回全国同時地方選挙 (韓国)
・ 第6回全国大学サッカー選手権大会
・ 第6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会
・ 第6回全国障害者スポーツ大会
・ 第6回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会
・ 第6回全日本バレーボール選抜男女リーグ
・ 第6回全日本中学校陸上競技選手権大会
・ 第6回全日本大学野球選手権大会
・ 第6回全日本女子サッカー選手権大会


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第6回全国中等学校優勝野球大会 : ウィキペディア日本語版
第6回全国中等学校優勝野球大会[だい6かいぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい]

第6回全国中等学校優勝野球大会は、1920年大正9年)8月14日から8月19日まで鳴尾球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。
== 概要 ==
この大会で初めて前年度優勝校が出場できなかった(神戸一中、兵庫大会で敗退)ため、入場式での優勝旗返還が行われなかった。
本大会では選手の健康管理と資格が大きな問題となった。優勝投手となった関西学院中の沢昇は肋膜炎が完治しないまま大会に出場し、2回戦以降は高熱を押しての登板を続けた。鳥取中・坂本、鴻城中・藤田の両選手は脚気を患いながら出場したが試合途中で交代せざるを得ないほどの症状だった。よって、2年後の第8回大会より参加選手は健康証明書を提出することが制度化された〔アサヒグラフ増刊1978.8.1号『熱球にかけた青春の記録 甲子園大会60年の歩み』〕。
選手資格の問題としては、法政大学の選手として大学野球経験がある小方二十世が豊国中の選手として出場したことがあげられる。当時の中学野球の規約では選手の年齢制限はなく、在籍生を学校長が代表選手と認めればどんな選手でも出場できたため、このような現象が起こった。これも2年後の1922年に選手年齢を18歳未満にする年齢制限などの規約改正を行い、大学野球経験者が出場することはなくなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第6回全国中等学校優勝野球大会」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.