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第751海軍航空隊 : ウィキペディア日本語版
鹿屋海軍航空隊[かのやかいぐんこうくうたい]

鹿屋海軍航空隊(かのやかいぐんこうくうたい)、および第七五一海軍航空隊は、日本海軍の航空部隊の一つ。戦闘機陸上攻撃機部隊として、日中戦争太平洋戦争で攻撃任務に従事した。1942年(昭和17年)10月1日に戦闘機部隊を分離し、第七五一海軍航空隊に改称された。戦力消耗につき1944年(昭和19年)7月10日に解隊された。
なお1942年(昭和17年)10月1日から1944年(昭和19年)7月10日まで、飛行練成部隊として二代目の鹿屋海軍航空隊が存在した。
== 鹿屋海軍航空隊 (初代) ==
1936年(昭和11年)4月1日鹿児島県鹿屋基地において開隊。1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件が発生し日中戦争が始まる。7月11日木更津海軍航空隊とともに第一連合航空隊を編成、8月12日には台湾に前進し華中方面を爆撃(渡洋爆撃)。12月4日には、海南島三亜及びサイゴンに進出して、華南方面への爆撃に従事した。さらに戦火の拡大にともない、上海漢口に進出、以降1941年(昭和16年)まで中国各地に対する爆撃が続けられた。
1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦。開戦当初は連合艦隊第十一航空艦隊第二一航空戦隊所属で、主に搭乗員の練成に当たっていた。開戦直前に陸攻隊の半数(3個分隊)が仏印に派遣され、二二航戦の指揮下に入った。この派遣隊はマレー沖海戦に参加した。
1942年(昭和17年)9月、カビエンラバウルに進出、以後ソロモン東部ニューギニア戦線での活動に当たった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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