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第一次パーニーパットの戦い : ウィキペディア日本語版
第一次パーニーパットの戦い[だいいちじぱーにーぱっとのたたかい]

第一次パーニーパットの戦い(だいいちじパーニーパットのたたかい、英語:The First Battle of Panipat)は、1526年4月21日パーニーパット(パーニーパト)において、ムガル帝国の創始者であるバーブルローディー朝の王との間で行なわれた戦い。なお、戦闘は4月21日以前の小競り合いも含めている。
この戦いでは、少数兵力ながら鉄砲や大砲という火器を有効に用いたバーブル軍が勝利をおさめ、バーブルによるムガル帝国が建国されるきっかけとなった。
== 戦闘に至る経緯 ==
16世紀前半、北インドを支配していたローディー朝シカンダル・ローディーの死後、息子のイブラーヒーム・ローディーが王朝を継承したが、貴族勢力との内紛が続いていた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p146〕。
一方、イブラーヒームの権威に反抗する、ローディー朝のパンジャーブ総督 ダウラト・ハーン・ローディーメーワール王国ラーナー・サンガの招きにより、バーブルは北インドへの遠征を着々と進めた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p163〕。バーブルはティムールの曾孫の子であり、中央アジアでの争いに敗れたのち、幾度か北インドへの遠征を敢行していた。
バーブルは一時ラホールまで進撃したが、要請者一派がイブラーヒームとの争いで逃亡したため、いったん引き返した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p146〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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