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第一次上海事変[だいいちじしゃんはいじへん]
第一次上海事変(だいいちじしゃんはいじへん)は、1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日華両軍の衝突である。 == 背景 == 当時の上海市にはイギリス、アメリカ合衆国、大日本帝国、イタリア王国などの国際共同租界とフランス租界からなる上海租界が置かれていた。日本は北四川路及び虹江方面に「約2万7千の在住民を有した」〔昭和7年2月10日の枢密院「上海事件ニ関スル報告会議筆記」大角海軍大臣発言。原文は句読点及び濁点等なしの片仮名書きであるが、句読点及び濁点等を付し平仮名に改める。また算用数字に改める。〕。居留民の警護を目的とする各国軍が駐留していた。。 事変の起きる前の日本と列強との関係について、大角岑生海軍大臣は「上海事件の起こる前に於ける日本と各国との関係は、すこぶる良好にして、即ち居留地外は上海市長呉鉄城の支配権内に在るも、居留地内は工部局が行政権を握り、其の執行機関たる参事会員は外人9名支那人5名を以て組織せるものなるが、各国人も予め支那側の横暴なることを熟知し日本に対し同情せり。」と発言した〔。前年の1931年の6月15日には、が、上海租界で太平洋地域のプロフィンテルン支部(太平洋労働組合書記局)の連絡役であるイレール・ヌーランを逮捕して(ヌーラン事件、牛蘭事件)、日本の警察にも情報を渡していた。押収された文書には、「国民政府の軍隊内に、共産党の細胞を植付け、其戦闘力を弱める事が最も必要」だと記されていた〔牛蘭事件の審問 第三国際の東洋攪乱 満州日報 1931年9月18日〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一次上海事変」の詳細全文を読む
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