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第一青函丸(だいいちせいかんまる)は、鉄道省青函航路の鉄道連絡船。青函航路で最初の鉄道車両航送専用の車両渡船であった。 青函丸の名称を持つ車両渡船の第1船である。第二青函丸は準同型船である〔古川達郎 連絡船細見p20 JTBパブリッシング2008〕。 第一青函丸のマイナーチェンジ改良型が第二青函丸。 根本的モデルチェンジが第三青函丸。 これのマイナーチェンジ改良型が第四青函丸で、これが戦前の青函航路の車両渡船の完成型であった。 これを徹底的に簡易化したのが第五~十二青函丸で、W型戦時標準船であった。 == 車両渡船建造の経緯 == 第1次世界大戦の勃発は世界的な船腹不足を発生させ、日本においても海運貨物の鉄道への転移を招き、従前より貨物輸送力の逼迫していた青函航路は混乱状態に陥った。このため、当時の鉄道院運輸局船舶課は、輸送力の抜本的増強を目指して本航路への貨車航送導入を図り、1924年(大正13年)末までに 翔鳳丸型車載客船4隻を建造就航させた。当初は、これに引き続き、旅客扱いしない車両渡船 1隻の建造も1923年 (大正12年)中に着工する予定であったが、同年 9月1日に発生した関東大震災のため、その着工は1925年(大正14年)まで延期された〔古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p76 成山堂書店1988〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一青函丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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