|
第三十一号哨戒特務艇〔本来の艇名表記は第三十一號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第三十一號)。〕(だいさんじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の13番艇〔本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は12番艇、第27号哨戒特務艇を含めると通算で13番艇となる。〕。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。 ==艇歴== マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の31番艇、仮称艦名第2151号艦として計画。1944年11月5日、第三十一号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の12番艇に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。1945年4月29日、船体概成により株式会社船矢造船鉄工所〔から横須賀海軍工廠へ引き渡し。7月29日竣工し、本籍を呉鎮守府に定められ、大阪警備府神戸港湾警備隊に編入。 終戦時残存。戦後は阪神地区の掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。 1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、大阪地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部大阪支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第三十一号としている。 1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を阪神掃海部に改められる。6月25日、阪神掃海部は神戸掃海部に改称。11月1日、神戸掃海部は阪神掃海部に改称。1947年8月1日、阪神掃海部が廃止され、所属を下関掃海部に改められる。 1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-18となる。8月20日、船名を哨特第三一号 MS-18に定められる。1951年12月1日、船名をうきしま MS-18に改正。 1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部航路啓開部西部航路啓開隊呉航路啓開隊第3掃海隊に編入。1953年9月16日、横須賀地方総監部呉地方基地隊第3掃海隊に編入。 1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる〔。呉地方総監部呉地方隊呉基地警防隊第3掃海隊に編入。1956年3月30日、呉基地警防隊第4掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-680に改正。1961年3月31日、支援船に編入され船名を掃海雑船17号 YAM-17に改正。1963年1月1日、船種呼称を掃海船に改正。同年3月31日、海上自衛隊から除籍された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第三十一号哨戒特務艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|