翻訳と辞書
Words near each other
・ 第三次カーナティック戦争
・ 第三次グラッドストン内閣
・ 第三次サン・イルデフォンソ条約
・ 第三次シュレジエン戦争
・ 第三次ソロモン海戦
・ 第三次チャタヌーガの戦い
・ 第三次ハリコフ攻防戦
・ 第三次パーニーパットの戦い
・ 第三次パーニーパトの戦い
・ 第三次ピーターズバーグの戦い
第三次フランス軍事顧問団
・ 第三次ポエニ戦争
・ 第三次ポエニ戦役
・ 第三次ポーランド楽派
・ 第三次マイソール戦争
・ 第三次マケドニア戦争
・ 第三次マラーター戦争
・ 第三次マラータ戦争
・ 第三次マーフリーズバラの戦い
・ 第三次ミトリダテス戦争


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第三次フランス軍事顧問団 : ウィキペディア日本語版
フランス軍事顧問団 (1884-1889)

第三次フランス軍事顧問団(1884年-1889年)は、フランスから日本に派遣された3回目の軍事顧問団で、メンバーは5人であった。
== 概略 ==

フランスは、第一次(1867年-1868年)及び第二次(1872年–1880年)に軍事顧問団を派遣しており、日本の陸軍の近代化に大きく貢献していた。
しかし、第三次軍事顧問団が派遣されたころには、日本はドイツ帝国の軍事制度に関心を持ち始めており、並行して2人のドイツ人顧問を雇っていた。特に、メッケル陸軍大学校教官(1885年-1888年在任)に招聘し、参謀制度の改革に乗り出していた。
一方で、フランスは著名な軍事技術者であるルイ=エミール・ベルタンを派遣することにより大日本帝国海軍にもかなりの影響を及ぼしていた。ベルタンは日本海軍の最初の大型艦である松島型防護巡洋艦の設計を担当し、一・二番艦はフランスで建造されたが、三番艦橋立横須賀海軍造船所で建造されている。
団員の何人かは、日本の武術に関心を持った。エチエン・ヴィラールとジョセフ・キールは直心影流榊原鍵吉の門下生となったが、日本の武術を学んだ最初期の外国人である〔渡辺一郎編集『明治武道史―史料』新人物往来社(1971年)ASIN B000J9M48I 〕。
また、軍楽隊の指導のためシャルル・ルルー(Charles Edouard Gabriel Leroux)が派遣され、『扶桑歌』『抜刀隊』などを作曲している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランス軍事顧問団 (1884-1889)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 French military mission to Japan (1884-89) 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.