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第二丁卯(だいにていぼう)は日本海軍の軍艦。元は長州藩の発注した三檣スクーナー型木造汽船。 「丁卯」は十干十二支のひとつで、幕末では慶応3年(1867年)に当たる。この年にイギリスで建造された長州藩の軍艦が後の「第一丁卯」と「第二丁卯」となる。同一年の建造のため第一と第二を付加して区別した。 == 艦歴 == 建造時の仮称は「アソンタ(Assunta)」と称し、イギリス・ロンドンで建造、慶応4年5月(1868年6月から7月)長州藩が購入、「第二丁卯丸」と命名された。 明治3年4月9日(1870年5月9日)に政府に献納、同年5月8日(1870年6月6日)に品川沖で受領した。これにより兵部省所管となり「第二丁卯艦」と改名された。また翌明治4年11月15日(1871年12月26日)に六等艦と定められた。明治5年2月(1872年3月前後)から翌年1月まで測量任務に従事している。 1875年(明治8年)の江華島事件発生の際には、「雲揚」や「春日」などと共に釜山沖に派遣されていた。江華島での直接の交戦には参加していない。 1877年(明治10年)に勃発した西南戦争では下関の警備に従事、また日奈久攻略に参加した。 明治天皇の福岡行幸の護衛艦として神戸港に回航中、1885年(明治18年)4月3日に三重県安乗崎で座礁、破壊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二丁卯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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