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第二尚氏[だいにしょうし]
第二尚氏(だいにしょうし)は尚円王を始祖とし、尚円王即位の1469年(成化6年)から1879年(光緒5年)までの410年間、沖縄の琉球王国を統治した王家およびその姓の通称。琉球最後の王朝。正式には尚氏だが、第一尚氏と区別するため、一般には第二尚氏と呼ばれる。第二尚氏は、初代・尚円王から最後の尚泰王まで、19代続き、廃藩置県後は日本の華族となった。 == 歴史 ==
第二尚氏の王統は、第一尚氏の尚泰久王の重臣であった金丸が尚泰久王の子尚徳王にかわって王位に就き、尚円王〔明との朝貢貿易が琉球経済の柱であり、この関係を認められるためには、王統の継続を装うことが必要であった。〕と名乗ったことから始まる。第3代尚真王のときに、地方の按司らを首里に集居せしめて中央集権化を図るとともに、進貢貿易を中心に中国、日本、東南アジアと広く交易するなどして、王朝の全盛期を迎えた〔池上裕子編、小和田哲男編、小林清治編、池享編、黒川直則編『クロニック 戦国全史』(講談社、1995年) 80頁参照。〕。 第7代尚寧王の時に薩摩藩の島津氏の出兵を受けて薩摩藩の支配下に入り、両属関係となった。その後、向象賢・羽地王子朝秀や蔡温・具志頭親方文若を抜擢して、多くの改革を行い、疲弊した王国を立て直した。 しかし、19世紀後半になると、アメリカ、フランス、オランダ等と相次いで不平等条約を結ぶことを強いられ、さらに第19代尚泰王治世下の1879年(明治12年)、琉球処分が行われ、王家の琉球支配は終了した。尚泰はその後東京への移住を命じられ、形ばかりの侯爵に叙せられる。分家も男爵に叙せられた。尚泰は、沖縄との往来を禁止され、また一族の大半は、沖縄に残った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二尚氏」の詳細全文を読む
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