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第二次サケッツ港の戦い : ウィキペディア日本語版
第二次サケッツ港の戦い[だいにじさけっつこうのたたかい]

第二次サケッツ港の戦い(だいにじサケッツこうのたたかい、あるいはサケッツ港の戦い)は、米英戦争2年目の1813年5月28日から29日、ニューヨーク州サケッツ港で起きた戦闘である。イギリス軍オンタリオ湖を渡り、アメリカ海軍戦隊の主要造船所と基地だったサケッツ港を占領しようとしたが、アメリカ軍正規兵と民兵の部隊に撃退された。
== 背景 ==
米英戦争初期、イギリス軍は五大湖の支配権を掴んでいた。1812年9月、アメリカ海軍大佐アイザック・チョウンシーはオンタリオ湖とエリー湖の海軍の指揮を執るよう命令され、「本年秋にそれら湖の支配権を得られるよう最善を尽くすべし」という指示を受けた。それから3週間の内にチョウンシーは、149人の船大工、700人の水兵と海兵、100門ほどの大砲、さらにはかなりの量のマスケット銃など物資を、既に小さな海軍基地があったオンタリオ湖沿岸のサケッツ港に運ぶよう指示し、実行させた〔Paine, 1920 pp.293-304〕。
1813年の作戦開始に当たって、アメリカ合衆国とカナダの国境にあったアメリカ軍主力はサケッツ港に集中していた。チョウンシーが作り上げた海軍戦隊は、キングストンにいる対戦国イギリス軍とカナダ人が乗組む戦隊よりも勢力に勝っており、ヘンリー・ディアボーン少将が指揮する陸軍は広い前線のどこでもイギリス軍の勢力を上回ることができた。アメリカ軍にはキングストンを襲う機会があり、そこを奪えばイギリス軍戦隊を排除し、おそらくはアッパー・カナダのほぼ全てを確保できるはずだった。しかしディアボーンとチョウンシーはそこに駐屯するイギリス正規軍を過大評価していた。アメリカ軍はキングストンの代わりに、湖の西方にあるアッパー・カナダの首都ヨークの攻撃に向かった。1813年4月27日、アメリカ軍はヨークの戦いに勝利し、町を一時的に占領して略奪した。続いてナイアガラ川河口に近いナイアガラ砦に引き上げ、川の対岸にあるイギリス軍のジョージ砦にある陣地の攻撃に備えた。
イギリス海軍のジェイムズ・ルーカス・ヨー海軍大佐は、1812年遅くに本国の海軍本部から五大湖のイギリス海軍を指揮するよう指名されていた。ヨーは1813年5月5日にケベック・シティに到着し、150名の海軍士官および水兵の部隊と共にセントローレンス川を進んでキングストンに向かった〔Hitsman, p.142〕。その道すがら、やはりキングストンに向かっていたイギリス領カナダ軍政府司令官ジョージ・プレボスト中将に追いついてこれに合流した。プレボストにとってはその4か月の間に2回目のアッパー・カナダ訪問であり、ヨークの敗北後に植民地議会の信頼を失ったロジャー・ヘイル・シーフ少将を更迭する必要性を検証するためだった。
プロボストとヨーは、5月15日にキングストンに到着した。プロボストがその部隊を再編成し、民兵と文民当局の士気を揚げようとしている間、ヨーは新造のスループ・オブ・ウォーHMS''ウルフ''の完成と他の武装間数隻の改装を急がせた。ただし、その作業の多くはノバスコシアハリファックス海軍基地から派遣されていたロバート・ハリオット・バークレイ、ロバート・フィニス、ダニエル・プリング各海軍中佐によって、既に終わっていた。プロボストとヨーは、''ウルフ''が完工したときに、ヨーの戦隊がチョウンシーの戦力を少し上回ることが分かったが、このときアメリカ海軍はサケッツ港で大砲28門搭載の重スループ・オブ・ウォーUSS''ジェネラル・パイク''を建造しており、これができればチョウンシー戦隊が再び優位に立つはずだった〔Hitsman, p.143〕。
5月25日、チョウンシー戦隊がジョージ砦沖に現れた。そこのイギリス軍指揮官ジョン・ビンセント准将は即座にキングストンにその情報を伝える伝令船を送った。その2日後、ジョージ砦の戦いでビンセント隊は大きな損失を出し、その陣地から追われた。プロボストとヨーは、ジョージ砦沖にチョウンシー戦隊が現れたことを知ると、その戦隊とディアボーン軍は数日間はそこでの戦闘に捉われているだろうと考えた〔Hitsman, p.144〕。これはサケッツ港を奪うチャンスであり、それができれば、イギリス軍はオンタリオ湖で海軍の優越性を確保する打撃を与えられると見ていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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