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第二次スプリングフィールドの戦い : ウィキペディア日本語版 | 第二次スプリングフィールドの戦い[だいにじすぷりんぐふぃーるどのたたかい]
第二次スプリングフィールドの戦い(だいにじスプリングフィールドのたたかい、)は、南北戦争の1863年1月8日、ミズーリ州スプリングフィールドで起きた戦闘である。戦闘は都心部でおこった。南北戦争での市街戦は珍しいことだった。なおスプリングフィールド市では1861年10月にも戦闘が起きていた(第一次スプリングフィールドの戦い)。さらにその前の8月10日にはミシシッピ川流域戦線初期としては最大の戦いになったウィルソンズ・クリークの戦いが起きていた。 == 前哨戦 == 1862年12月31日、南軍ジョン・マーマデューク准将の指揮する騎兵3部隊が、アーカンソー州ポカホンタスとルイスバーグを出発し、別々の道路を駆けて北のミズーリ州と北軍の供給線に向かった。マーマデュークの直接の目標は、ローラとスプリングフィールドの間にある北軍フロンティア軍の輜重隊と供給線の破壊だった。これに成功すれば、フロンティア軍の部隊をアーカンソー州から追い出し、マーマデュークの師団を追いかけさせることになるはずだった。 マーマデュークの主力部隊はミズーリ州フォーサイスを抜けて北に進み、そこでスカウトからスプリングフィールドにある北軍の主要補給所の防御が弱いことを知った。マーマデュークは南軍のために道を切り開くべく、ミズーリ州オザークに進軍した。オザークに駐屯する北軍守備隊が退却し、南軍はその放棄された砦を焼いた。エメット・マクドナルド大佐の指揮する第2部隊が、ミズーリ州アバの南西約10マイル (16 km)、ビーバークリーク沿いにあるローレンスミルの北軍砦(ローレンス砦)を破壊した。 ジョセフ・C・ポーター大佐が指揮する第3部隊への分遣隊が、ハートビルではなくスプリングフィールドでマーマデュークの本体に合流するよう指示を送った。全てが計画通り進めば、3つの部隊はスプリングフィールドで合流し、市内で防御の軽い軍需物資の倉庫を占領できるはずだった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次スプリングフィールドの戦い」の詳細全文を読む
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