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第二次ラッパハノック駅の戦い : ウィキペディア日本語版
第二次ラッパハノック駅の戦い[だいにじらっぱはのっくえきのたたかい]

第二次ラッパハノック駅の戦い(だいにじラッパハノックえきのたたかい、)は、南北戦争3年目の1863年11月7日バージニア州オレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道のラッパハノック駅のある村近く(現在のレミントン町)で起きた戦闘である。ブリストー方面作戦の一部として、南軍ジュバル・アーリー少将の指揮下で、北軍ジョン・セジウィック少将の指揮下で起こった。この戦闘は北軍の勝利に終わった。なお、一年前の1862年8月の北バージニア方面作戦中に、やはりラッパハノック駅の近くで戦闘が起きており、これを第一次ラッパハノック駅の戦いと呼んでいる。
== 背景 ==
1863年7月にゲティスバーグの戦いが起きた後、北軍と南軍は南に動いて行き、3か月間は北バージニアのうねりのある平原で互いに小競り合いを続けた。しかし、大した成果は得られず、10月下旬には南軍のロバート・E・リー将軍がその軍をラッパハノック川の背後に退かせ、冬の間はその川を前線に維持することを期待していた〔。
ラッパハノック駅の町にあった単一の船橋が、リーが川の北岸との間に保持した唯一の接続路だった。この橋は、2つの方形堡とそれらを繋ぐ塹壕でできている北岸の橋頭堡によって守られていた。南岸の丘に据えられた南軍砲台がその陣地の補強になっていた〔。
この橋頭堡はラッパハノック川の前線を守るというリーの戦略と一体をなしていた。リーは、この橋頭堡を保持することで、「敵軍が上下流で起こす動きに対して側面を衝くと言う脅しになり、それで敵軍を2つに分けるように強い、機会があれば一隊にあるいは他方に集中して攻撃できると期待していた」と後に説明していた。北軍のポトマック軍ジョージ・ミード少将が指揮しており、リーが期待したようにその軍を2つに分けた。ミードはジョン・セジウィック少将にラッパハノック駅の南軍陣地への攻撃を命じ、一方、ウィリアム・H・フレンチ少将は5マイル (8 km) 下流のケリー浅瀬で渡河を強行することにした。セジウィック隊とフレンチ隊が無事川を渡ると、合流したそれらの部隊はブランディステーションに向かって進軍を始めることになっていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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