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第二次リンカーンの戦い : ウィキペディア日本語版 | 第二次リンカーンの戦い[だいにじりんかーんのたたかい]
第二次リンカーンの戦いは、第一次バロン戦争中である1217年3月20日、リンカーン城で起こった戦い。将来のフランス王ルイ8世(この当時は王太子)の軍と、イングランド王ヘンリー3世の勢力が激突した。ルイ軍はペンブルック伯ウィリアム・マーシャルの率いる援軍の攻撃を受けた。フランス軍を率いるド・ラ・ペルシュ伯爵はこの戦いで戦死し、これがルイの大敗北と、軍がイングランド南東部に撤退を余儀なくされる原因となった。このあと引き続いて起こった略奪は「リンカーン事件」(Lincoln Fair)と呼ばれている。ヘンリー軍が都市を荒廃させたため、市民たちはルイの方に忠実であった。 == 背景 == 1216年、イングランド王位の継承について、フランス王太子ルイがロンドンに入り、イングランド王となったことを宣言すると、第一次バロン戦争は新たな局面を迎えることになった。ルイはジョン王に造反するイングランド諸侯らの支持を得ることになった。だが、戦争の半ば、ジョン王が死去すると彼の8歳の息子であるヘンリー3世が戴冠することになった。ジョン王の死によって、多くの諸侯が鞍替えし、ヘンリーのためにルイと戦いたいと考えるようになった。ヘンリー王の摂政であり、高名な騎士にして馬上槍試合の名手であるウィリアム・マーシャルは王の命令を実行する権力があった。マーシャルはイングランドの貴族すべてに対し、ニューアークに集まるように招集を掛けた。およそ400人の騎士、250人の石弓の使い手、さらに多くの騎兵および歩兵戦士が参列することになった〔The Battle of Lincoln (1217), according to Roger of Wendover 〕。この兵らは王太子ルイの兵によるリンカーンに対する包囲攻撃を打ち破るために行進していったのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次リンカーンの戦い」の詳細全文を読む
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