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第二次日韓協約 : ウィキペディア日本語版
第二次日韓協約[だいにじにっかんきょうやく]

第二次日韓協約(だいにじにっかんきょうやく)は、日露戦争終結後の1905年(明治38)11月17日に大日本帝国大韓帝国が締結した協約。これにより大韓帝国の外交権はほぼ大日本帝国に接収されることとなり、事実上保護国となった。日韓保護条約ともいい、乙巳年に締結したという意味で乙巳條約乙巳五條約乙巳保護条約とも。締結当時の正式名称は日韓交渉条約であった。
大日本帝国側代表は特命全権公使林権助、大韓帝国側代表は外部大臣朴斉純
1965年、本条約は日韓国交を正常化する日韓基本条約の第2条で「もはや無効」であることが確認された〔日韓基本条約 第2条 千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。〕。
== 経緯 ==
大日本帝国は日露戦争中である1904年第一次日韓協約締結により大韓帝国の財政・外交に対し関与する立場となっていたが、その間、桂・タフト協定が締結された。日露戦争に勝利し、その講和条約であるポーツマス条約1905年9月5日)により大韓帝国に対する優越権をロシアから承認され、また高宗が他の国に第一次日韓協約への不満を表す密使を送っていたことが問題となったこともあり、大日本帝国からの信頼を無くしていた大韓帝国に対し、より信頼できる行動をとることを求めるため、この協約を結ぶこととなった。
協約締結後の1907年に、協約の無効を主張する高宗の親書をたずさえた密使が万国平和会議に派遣されたが国際的には有効な協約であったため、拒絶された(ハーグ密使事件)。この密使の派遣が問題となり、高宗は李完用らに責任を問われ皇帝の地位を純宗に譲ることとなり、第三次日韓協約の調印へと進むこととなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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