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第13師団(だいじゅうさんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 日露戦争中の1905年(明治38年)と、日中戦争勃発後の1937年(昭和12年)に編成された。 == 第一次編成 == 日露戦争末期の1905年(明治38年)4月、従来の師団総てを動員した為、本土駐留師団がなくなる事態となった。そこで第13師団を含む4個師団が創設された。 軍部は日露戦争の講和を有利に運ぶ為に樺太占領を企て、第13師団が投入された。独立第13師団として編成された師団は7月7日に樺太に上陸すると北上を続け、8月1日には駐樺太ロシア軍が降伏した為、占領を完了した。これにより、講和条約であるポーツマス条約によって樺太の南部即ち南樺太は日本領に編入された。 1908年(明治41年)11月6日、師団司令部は高田新庁舎に移転〔『官報』第7615号、明治41年11月12日。〕。1913年(大正2年)4月12日、師団司令部は満州遼陽に移転した〔『官報』第216号、大正2年4月22日。〕。1915年(大正4年)6月3日、師団司令部は高田市に帰還した〔『官報』第853号、大正4年6月7日。〕。 師団はその後朝鮮駐剳を経て1920年(大正9年)のシベリア出兵に動員された。しかし、大正年間には続く戦役によって政府は財政難となっており、1925年(大正14年)に加藤高明内閣で行われた所謂「宇垣軍縮」によって4個師団の廃止が決まり、第13師団も第15・第17・第18師団と共に廃止された。 余談として、1910年より蒋介石が野戦砲兵(高田)として一時期、在籍していたことがある。 また、長岡外史が第13師団長だった1911年(明治44年)1月12日、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人だったテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐から、師団のスキー専修員にスキー技術を伝授された。(これが日本におけるスキー発祥と言われている。) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第13師団 (日本軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 13th Division (Imperial Japanese Army) 」があります。 スポンサード リンク
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