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第百七十三号哨戒特務艇〔本来の艇名表記は第百七十三號哨戒特務艇。〕(だいひゃくななじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の67番艇〔本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は63番艇、これら4隻を含めると通算で67番艇となる。なお、第86号哨戒特務艇(仮称艦名第2206号艦)と第166号哨戒特務艇は特務艇類別等級別表に登載されていないため、法令上の「何番艇」に含めることが出来ない。〕。竣工3日後に沈没した。 ==艇歴== マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の173番艇、仮称艦名第2293号艦として計画。1944年11月5日、第百七十三号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の63番艇に定められ〔、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年1月29日、船体概成により徳島合同造船株式会社〔から呉海軍工廠へ引き渡し。3月26日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第一監視艇隊に編入。 3月29日、若松港で触雷し沈没した。5月18日浮揚し、林兼重工業彦島造船所岸壁に繋留された。 7月1日、第百七十三号哨戒特務艇は第一監視艇隊から削除され、本籍を佐世保鎮守府とした定めを解かれた〔本艇の特務艇類別等級別表からの削除は、2015年現在公開中の内令では確認できない。〕。その後の空襲により被爆して艇橋を喪失し、上部構造物を露出した状態で沈没した。 1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められた。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令され、解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第百七十三号哨戒特務艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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