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第百七十四号哨戒特務艇〔本来の艇名表記は第百七十四號哨戒特務艇。〕(だいひゃくななじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の68番艇〔本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は64番艇、これら4隻を含めると通算で68番艇となる。〕。潜水艦の攻撃により沈没した。 ==艇歴== マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の174番艇、仮称艦名第2294号艦として計画。1944年11月5日、第百七十四号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の64番艇に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。1945年3月8日、船体概成により徳島合同造船株式会社から呉海軍工廠へ引き渡し。5月10日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、連合艦隊第二十二戦隊第四監視艇隊に編入。 5月18日、第五特攻戦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分第二特攻部隊に配置。5月中は種子島への輸送に2回従事。 6月8日、天草下島魚貫埼よりの方位300度7カイリの地点で、潜水艦の攻撃を受け被雷し沈没した〔第二十二戦隊戦時日誌(昭和20年6月1日-30日)による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「終戦時敦賀に所在」とあるが、1945年12月1日以降に第二復員省、復員庁、在東京アメリカ極東海軍司令部が調製した文書中に本艇の艇名は存在しない。〕。 ※以下の艇歴は書類上のもの。 6月15日、第七艦隊作戦指揮下に編入。軍隊区分対馬海峡方面部隊北九州防備部隊に配置。 7月1日、第四監視艇隊から削除され舞鶴鎮守府敦賀港湾警備隊に編入。 1947年5月3日、第百七十四号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第百七十四号哨戒特務艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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