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第百五号哨戒艇〔昭和18年9月1日付 海軍逹 第204号。〕(だいひゃくごごうしょうかいてい、旧字体:第百五號哨戒艇)は、大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つである哨戒艇。元はアメリカあるいはフィリピンの巡視船「アラヤット」 (Arayat) 。 == 概要 == 1941年(昭和16年)12月27日キャビテ沖のマニラ湾で日本軍の空襲により沈没。1942年(昭和17年)8月以降に浮揚、マニラの第百三海軍工作部が修理し哨戒艇とした。主にマニラを中心に哨戒、護衛任務に従事した。1944年(昭和19年)11月29日、多号作戦に参加中に魚雷艇の攻撃により戦没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第百五号哨戒艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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