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第百十国立銀行[だいひゃくじゅうこくりつぎんこう] 第百十国立銀行(だいひゃくじゅうこくりつぎんこう)は、かつて山口県にあった国立銀行。 == 概要 ==
*山口県の地方銀行である山口銀行の前身〔1944年の山口銀行設立に至るまで、県内諸銀行との合併が繰り返されたが、合併の種類は吸収合併にとどまらず、形式上は対等合併をとった場合も少なからず含んでいる。そのため、厳密には「山口銀行の前身(母体)の一つ」と表記するのが正確であるが、山口銀行の各種公刊物には、第百十国立銀行創業時をもって山口銀行創業とし、「第百十国立銀行は山口銀行の前身」と明確に位置づけている。また、合併各行の中でも百十銀行の沿革がもっとも長いこと(百十銀行の名が継承され続けたこと)、各合併時において資本金など経営規模が百十銀行が突出していたことなどを踏まえ、便宜上このような表記にしている。〕。 *山口県に本店がある銀行としては、ほぼ同時期に開業した第百三国立銀行 (本店岩国、1923年に安田財閥系の保善銀行に吸収される) とならび歴史が古かった。 *百十銀行は、三井財閥と関係の深かった井上馨が設立や再建に深く関わり、三井銀行(現・三井住友銀行)から下関支店〔現在の三井住友銀行下関支店は旧住友銀行の店舗であり、旧三井銀行下関支店とは一切関係がない。〕の経営を譲渡されるなどして、当初は三井銀行と関係が深い時期があった。昭和初期には三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)と密接な関係を持ち、「三菱財閥の直系」とも論じられるようになったが、1943年頃に三菱銀行から三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)への百十銀行株式譲渡が行われ、以後は三和銀行と関係を持つに至った。三和銀行との関係は、新設された山口銀行に引き継がれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第百十国立銀行」の詳細全文を読む
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