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笹尾 粂太郎(ささお くめたろう、1871年4月14日〈明治4年2月25日〉- 1941年〈昭和16年〉1月29日)は、日本の哲学者である。 山口県下関市に笹尾勝蔵の息子として生まれ、日本基督教会柳川教会で父から洗礼を受けた。山口高等学校に入学したが、経済的事情で明治学院神学部に転校。同じく、白金にあった自営館(現・巣鴨教会)で共同生活を送った。 明治学院から推薦されて、20歳で渡米し、オーバン神学校、コロンビア大学で学んだ。さらに、1896年にドイツに渡りベルリン大学、ハレ大学、ボン大学でキリスト教とカント哲学の研究を重ね、1899年に学位論文「カントの神概念」によりボン大学より哲学博士号を得た。 1900年10月シュネーダーの紹介で東北学院教授に就任し、神学と哲学を教えた。また、第二高等学校の講師も兼ねていた。1927年に明治学院に転任し、高等部部長として1934年の引退まで務めた。 1936年に共立女学校(横浜共立学園)の5代目校長に就任した。 == 参考文献 == *『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笹尾粂太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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