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笹森儀助[ささもり ぎすけ]
笹森 儀助(ささもり ぎすけ、弘化2年1月25日(1845年3月3日) - 大正4年(1915年)9月29日)は日本の探検家、政治家、実業家。当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島や千島列島を調査した他、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。 また、南西諸島調査の詳細な記録である著書『南嶋探験』は、柳田國男など後の民俗学者に大きな影響を与えた。 == 経歴 == 1845年(弘化2年)、陸奥国弘前在府町(現・青森県弘前市在府町)に、弘前藩士・笹森重吉の子として生まれる。藩校稽古館(現・東奥義塾高等学校)で学んだ後、弘前藩・青森県に勤め、中津軽郡長も務めるなどしたが、1881年(明治14年)に辞職。当時の青森県では自由民権運動団体である共同会と笹森ら保守派が対立していたのだが、この統一を考えた青森県令・山田秀典に笹森が反発したための退職であった。 辞職後の笹森は、保守派の中心人物であり、共に県を辞職した大道寺繁禎(第五十九国立銀行の設立者)と牧場経営会社・農牧社を設立、副社長となる。1886年(明治19年)には社長の大道寺が中津軽郡長に就任することになったため、代わって社長に選出された。1892年(明治25年)、農牧社を退職。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笹森儀助」の詳細全文を読む
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