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等々力 いく(とどりき いく、1873年 - 1951年)は、日本の看護師。長野県南安曇郡東穂高村(現安曇野市)生まれ。フローレンス・ナイチンゲール記章受章。 == 略譜 == *1899年(明治32年)- 日本赤十字社長野支部看護婦第13期生を卒業し、東京の本社に転勤し、看護婦長となる。その後、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争に従軍する。勲七等宝冠章受勲。 *1911年(明治44年)- 東宮妃(後の貞明皇后)の大患の時、3か月間看護に当る。秩父宮雍仁親王・高松宮宣仁親王発病時にも看護に当る。 *1925年(大正14年)- ヘルシンキの万国赤十字看護婦会議に日本代表として出席し、万国赤十字社から日本国内4人目のナイチンゲール章を受勲する。 下田歌子が校長であった実践女学校に講師として招かれ、看護学の講座を担当する。 *1946年(昭和21年)- 日本赤十字社有功章を受章。 *1949年(昭和24年)- 貞明皇后が長野県有明天柞蚕試験場を視察した際、単独拝謁し、下賜品を送られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「等々力いく」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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