|
筏井 嘉一(いかだい かいち、1899年(明治32年)12月28日 - 1971年(昭和46年)4月21日)は、富山県高岡市出身の歌人。父は俳人の筏井竹の門で、長男として〔嘉一は竹の門の一人息子であった。〕生まれた〔筏井 嘉一 - 全国名前辞典、2012年12月9日閲覧。〕。 高岡中学校を卒業し、1914年(大正3年)に詩人、童謡作家、歌人であった北原白秋の巡礼詩社、短歌雑誌『日光』に入会する。 1928年(昭和3年)、歌人の坪野哲久、前川佐美雄らと共に新興歌人連盟を結成。また、歌誌『香蘭』の選者を担当した。 1940年(昭和15年)に近代主義に移り、坪野哲久、前川佐美雄、佐藤佐太郎、加藤将之、五島美代子、斎藤史、館山一子、常見千香夫、福田栄一と共に合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。同年『エスプリ』『立春』を著し、嘉一に師事していた児童文学作家、翻訳家、教育評論家の森比左志が『蒼生』(現:創生)を発行した。 同年、ヒューマンな感情と流麗なロマン性が話題となった〔筏井嘉一 - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2012年12月9日閲覧。〕歌集『荒栲』を創刊した。 1965年(昭和40年)、歌集『籬雨荘雑歌』を著した。 1971年(昭和46年)4月21日に71歳で死去。 == 脚注・参考文献 == 〔 * * * 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筏井嘉一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|