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筑後国分尼寺跡 : ウィキペディア日本語版
筑後国分寺跡[ちくごこくぶんじあと]

筑後国分寺跡(ちくごこくぶんじあと)は、福岡県久留米市にある寺院跡。現在は久留米市指定史跡に指定されている。
奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、筑後国国分寺の寺院跡にあたる。本項では筑後国分尼寺跡についても解説する。現寺院については国分寺 (久留米市)を参照。
== 概要 ==
久留米市中心部にある寺院跡で、日吉神社境内に僧寺跡が確認され、その北約200メートルの「字西村」に尼寺跡が推定されている〔(久留米市)「82 筑後国分寺跡(講堂・塔及び回廊跡)」(p. 135)。〕。両寺跡とも住宅街の中にあり、遺構は失われつつある。
聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。『続日本紀』には天平勝宝8年(756年)に筑後国を含む26ヶ国の国分寺に対する法具頒布の記事がある〔。『延喜式』では筑後国分寺料は13,394束〔。仁治2年(1241年)の文書によれば、当時には国分僧寺・尼寺ともに有名無実化し、破損の甚だしいことが見える〔。その後は武士の台頭により寺領も失った〔。
その後室町時代から近世初頭にかけての時期に、久留米市宮ノ陣にある天台宗護国山国分寺()に移ったとされる〔。慶長年間(1596年-1615年)には僧寺跡を横切る形で柳川街道が築かれており、その当時には創建時の位置には存在しなかったものと考えられる〔。
『寛延記』寛延2年(1749年)には、国分寺跡として記載されている〔(久留米市教育委員会)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「筑後国分寺跡」の詳細全文を読む



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