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筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、''Chikugo River Lift bridge'')は、日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町(廃線時・佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。佐賀線の廃線後も保存され、現在は歩道橋として活用されている。旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)として重要文化財および機械遺産に指定されている。 == 概要 == 筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁「筑後川橋梁(ちくごがわきょうりょう)〔歴史的鋼橋 筑後川橋梁 (M3-027) - 土木学会〕」として建設され、1935年(昭和10年)竣工、同年5月25日に開業した。舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。本橋の設計施行に中心的役割を果たしたのは、鉄道技師の釘宮磐(鉄道省熊本建設事務所長)であった。昇開橋の仕組みそのものは、坂本種芳〔鉄道省の技師でありながら、副業でマジシャンをしていた。世界的なマジックの賞、スフィンクス賞を受賞している。また、マジック関連の著書「奇術の世界」「創作奇術四人集」「奇術に賭けた人生」も発表した。〕が考えた。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。また、この筑後川昇開橋の構造を解説するために精巧な模型が交通博物館(閉館)及び鉄道博物館(埼玉県さいたま市)で展示されている。ちなみに、昇開橋の精巧模型は1937年(昭和12年)にフランス・パリで行われたパリ万博に出展されたものである。 建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。 国鉄の民営化を前に1987年(昭和62年)3月27日限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討された。しかし地元では橋存続の要望が強く、1996年(平成8年)に遊歩道として復活し、現在では大川市と諸富町のシンボル的存在である。また、橋の両端には公園が整備されていて、現役当時の橋の姿のモニュメントや佐賀線に使われていた3灯式信号機や警報機などが保存されている。 2003年(平成15年)に、国の重要文化財に指定され、2007年(平成19年)に日本機械学会より機械遺産(23番)に認定された。2009年(平成21年)7月30日から橋脚の修復や塗装の塗り替え、遊歩道に防水加工を施すなどの保存修理工事が行われ、2011年(平成23年)2月13日に通行が再開された〔昇開橋 塗り替え終了 鮮やかな赤 復活 (2011年1月6日付西日本新聞朝刊)〕。調査費を含めた総事業費は約3億円。平成27年2月1日から平行滑車の劣化が原因で桁に歪みが生じたため補修工事が行われた。同年3月1日に通行が再開された〔]〕。 ファイル:Chikugo River Lift Bridge up20060426.jpg|諸富側から撮影 ファイル:昇開橋パネル002.JPG|設計当時の昇開橋図面 ファイル:Chikugo River Lift bridge aerial.jpg|筑後川昇開橋の航空写真、廃線直後の1987年撮影、上昇時。右下が福岡県側、左上が佐賀県側。 ファイル:Chikugo River Lift bridge Monument.JPG|佐賀県側の公園には鉄道橋時代の写真や設備が遺されている。 ファイル:Chikugo River Lift bridge Monument 02.JPG|福岡県側にも鉄道のモニュメントが遺されている。 ファイル:佐賀線 花宗川跳開橋 跡.JPG|花宗川橋梁跡。昇開橋側より筑後大川駅方面を望む。工場の切り目が筑後大川駅跡である。 ファイル:Chikugo River Lift Bridge hoisting equipment.JPG|昇降設備と機械室 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筑後川昇開橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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