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筑波大附 : ウィキペディア日本語版
筑波大学附属中学校・高等学校[つくばだいがくふぞくちゅうがっこう こうとうがっこう]

筑波大学附属中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚一丁目にある国立中学校高等学校
通称は「筑附(つくふ)」、「附属(ふぞく)」〔「」の漢字表記について。一部の私立大学の附属学校が正式名称として「属」の表記を採用しているが、本校は他の国立大学附属学校と同様に「属」の表記が正しい。また、「附」は常用漢字に含まれるが、日本新聞協会の新聞用語懇談会が不使用を決めているため、新聞記事などでは固有名詞であるにも関わらず「筑波大属」などと表記されることが多い。〕〔「附属」の略称について。本校及び筑波大附属小は日本初の「附属学校」として明治時代に設立され、当時「附属」といえばすなわち(旧制)東京高師附属小・中(つまり現在の筑波大附属小・中・高)のことを指した。その名残で、他に様々な大学の附属学校が存在する今でも本校のことを「附属」と略する呼び方が残っている。〕。
== 概要 ==
1888年(明治21年)に高等師範学校官立)の尋常中学科として江戸幕府直轄の昌平黌跡に設立されて以来、120年以上の歴史を有する国立の進学校。旧制中学校であった戦時中には特別科学学級が設置された。
1950年より男女共学となり、現在は中学校、高校ともに外部からの入学を受け入れているが、完全な中高一貫ではなく、中学から高校へは、内部連絡入試(一般入試とは異なる)を経て、男女それぞれ上位80%が進学できる。1学年の生徒数は中学205名、高校240名である。なお、中学では学年の3分の2程度、高校では3分の1程度が附属小学校からの内部進学者である。また、筑波大学附属校であるが、同大学への特別な内部進学枠は存在しない。
中学校には制服があり、男子は、明治期創設の学習院中・高等科と似た、海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)学生服型(ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。同型は巣鴨中学校・高等学校が採用)、女子はセーラー服である。男子制服には帽子も付帯し、古い時代には登下校時、校門守衛所を通る際に脱帽し、帽子を脇に抱えて礼をするなどの着用義務があったが、現在は随意である。
高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年(昭和45年)2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。
中学は「強く、正しく、朗らかに」を、高校は「自主、自律、自由」をそれぞれモットーとする。そのモットー通りか、昭和の一時期まではオートバイや自動車での通学も許可されていた。
現役生は、自校のことを「筑附」や「筑波」と称することが多いが、各界で活躍している卒業生は、まだ東京教育大学附属時代の人が多いことや、''脚注2'' の理由があり、卒業すると、単に「附属」と呼ぶことが多い。高校では現役生・卒業生ともに、何回生かで自己紹介をする。また、在学する3年間クラス替えは行われないので「○○回の○組」で通じる。
年度の高校1年生は「回生」、高校3年生は「回生」である。2008年10月10日には、創立120周年記念式典が催された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「筑波大学附属中学校・高等学校」の詳細全文を読む



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