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筒井 壮(つつい そう、1974年11月1日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。東北楽天ゴールデンイーグルスの取締役副会長である星野仙一の甥に当たる〔『中日新聞』1996年11月19日朝刊19頁「明治神宮野球 第3日 愛工大、エース崩れ涙のむ 決勝は明大 - 東北福祉大」、11月21日朝刊27頁「中日、2位に森野(東海大相模高)浮上 きょうドラフト 1、2位無抽選か」、11月22日朝刊32頁「プロ野球ドラフト会議 五輪チームから指名9人 竜に新風“高校生トリオ”」「プロ野球ドラフト会議 ガッツおじ譲り 7位筒井『頑張るだけ』」、11月29日朝刊33頁「脱衣室」、12月18日朝刊22頁「若竜8人、舞台はドームだ 4球団がルーキー入団を発表 『2年後、球速160キロ』 小山意欲」〕。 == 来歴 == 上宮高から明大へ進学。東京六大学リーグの春季リーグ戦で首位打者になる。リーグ通算74試合出場、223打数68安打、打率.305、6本塁打、36打点。ベストナイン2回。 1996年のドラフト7位で中日に入団。闘志あふれるプレーと、内外野のどちらも守れる守備で貴重な控え野手として活躍。にウエスタン・リーグ首位打者、のファーム日本選手権制覇に貢献し最優秀選手。 には59試合に出場し打率.291、2本塁打を記録。特に監督の山田久志がシーズン途中で休養し、佐々木恭介が監督代行となった以降の9月12日から14日の阪神戦(ナゴヤドーム)で中日に3連勝をもたらし、同年の阪神最終戦(甲子園)で決勝3ランを放ち阪神の完全優勝を阻止した。 は4年ぶりのファーム日本選手権制覇に貢献したものの、シーズン終了後の11月23日に戦力外通告を受ける。この年の第2回合同トライアウト実施前日の戦力外通告であり(第1回は既に終了していた)、遅すぎる戦力外通告であると中日はマスコミや評論家から批判された。なお監督の落合博満はこの件に関して、「トライアウトの日時を間違えてしまった」と筒井に対して謝罪している。 その後、阪神に入団。しかし、なかなか出番に恵まれなかった。10月6日に現役引退を表明。阪神の育成コーチとなった。からまでは二軍内野守備走塁コーチを務めた。からは二軍打撃コーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筒井壮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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