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筒井 慶之(つつい よしゆき、生年不詳 - 慶長20年(1615年))は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。官位は紀伊守。父は福住順弘。兄に定慶、順斎。 2人の兄・定慶、順斎と共に従兄の筒井氏当主筒井順慶の養子となるが、順慶死後の跡は同じく養子で従兄の筒井定次が継いだ。その後定次は豊臣方との内通疑惑により徳川家康に切腹を命じられ、長兄の定慶が当主となった。 しかし慶長20年(1615年)、豊臣軍の大野治房の襲撃によって大和郡山城は落城。兄は福住に逃れたがその後自害。慶之は奈良に逃れたがこちらも自害した。慶之の亡骸は自毫寺に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筒井慶之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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