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筧 裕次郎(かけい ゆうじろう、1984年5月7日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(内野手)。の登録名は裕次郎。 == 来歴・人物 == 小学校時代は父親が監督を務めるソフトボールチームに所属し、投手として全国大会ベスト16の成績を収める〔それぞれの分岐点 〕。明石市立魚住中学校時代はヤングリーグの「播州明治ベースボールクラブ」に所属し、2年の途中で明徳義塾中学に転校〔3年目の決意 連日の猛練習 オリックス・筧裕次郎内野手 〕。 明徳義塾高では入学直後の春季四国大会から三塁手として出場し、クリーンナップを打った〔。1年秋にはエースナンバーを背負ったが、その後馬淵史郎監督により捕手にコンバートされ、3年時には副主将で4番・捕手となる〔。夏には森岡良介らと共に第84回全国高等学校野球選手権大会に出場し、長谷川勇也・小林賢司らを擁する酒田南高校、横川史学・大崎雄太朗・坂克彦らを擁する常総学院高校、西村健太朗・白濱裕太らを擁する広陵高校、鎌倉健を擁する川之江高校などを破り、春夏通じて同校初の甲子園優勝を達成した。高校通算19本塁打。 のドラフトで大阪近鉄バファローズから3巡目指名を受け入団。 に内野手転向。オフには球団合併に伴う選手分配ドラフトでオリックス・バファローズへ移籍した。 は9月27日に初の一軍昇格。翌日の試合で一軍初出場を果たしたが、出場したのはその1試合のみで二軍に戻った。 はチーム事情により再び捕手登録となったが、ウエスタン・リーグでは二塁手としての出場が最も多かった。 は再び内野手登録となり、二軍では二塁手以外に遊撃手、三塁手としても出場した。オフの12月には挙式することが報じられ、同月19日には登録名を「裕次郎」に変更することが発表された。 は二軍でも48試合に出場して50打席と出場機会は少なく、打撃成績も打率1割台に終わった。10月3日に球団から戦力外通告を受け、その後12球団合同トライアウトに参加するもオファーはなかった。 現在は父親が監督を務める少年野球チーム「明石ボーイズ」のヘッドコーチを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筧裕次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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