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箕浦 義明(みのうら よしあき、生年不明 - 治承5年2月(1181年))は、平安時代末期の武将。山本義経の長男。兄弟に義弘、義兼(叔父とも)、義高、義成らがある。近江国坂田郡箕浦(滋賀県米原市箕浦)の地を本拠とした。号は箕浦冠者。 近江国の反平家蜂起(近江攻防)が鎮圧されると美濃国へ移り、治承5年(1181年)2月の一斉蜂起(美濃源氏の挙兵)に加わったが、平知盛率いる追討軍に敗れ葦敷重義や小河重清ら源氏方諸将と共に討ち取られた(『吾妻鏡』同年2月12日条)。 == 関連項目 == *近江源氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「箕浦義明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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