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矢田野義正[やたの よしまさ] 矢田野 義正(やたの よしまさ、永禄8年(1565年) - 元和9年6月3日(1623年6月30日))は、戦国時代の武将。二階堂氏の家臣。行義(行久)の子で、行正の父。叔父は行政。安房守。姓は「箭田野」とも。 1588年の郡山合戦では伊達方の伊東重信を討ち取る活躍をした。 天正17年(1589年)、伊達政宗により二階堂氏の須賀川城が落城すると、翌年(1590年)7月7日、義正は居城の大里城に篭城し伊達軍に徹底抗戦した。義正の軍の士気は高く、政宗の激しい力攻めにもかかわらずついに大里城は落ちなかったという。会津に向かう途中にこの経緯を知った豊臣秀吉が義正の武勇を褒め称えたといわれる。 後に佐竹氏を頼り、佐竹氏の転封に従って秋田に移った。 category:戦国武将
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢田野義正」の詳細全文を読む
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