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節談説教[ふしだんせっきょう] 節談説教(ふしだんせっきょう)とは、日本の仏教布教手段を指す「説教」のうち、浄土真宗に固有の言葉である〔谷口『「節談」はよみがえる』(2004)関山による巻頭言〕。また、一般には仏教全体の「節付説教」を表す言葉としても用いられる。仏教に馴染みのない聴衆に伝わりやすくするために、話す文句(説教)に抑揚(フシ)が付き(多くは七五調である)、人びとの情念に訴えかけるように工夫されたものである。現代の法話とは異なる。説経節のように歌って踊るパフォーマンスはなく、楽器なしの素語りである。賽銭を投げ銭方式でもらうため、実力差も出やすい。その芸能性により、浪曲、講談、落語などそれぞれの話芸の母体となった。これを行う説教師は、昭和期においてなお、寺をめぐり旅をしながら浄土真宗の教えを説いて回った〔小沢昭一『昭和の肖像<芸>』p.180〕。 == 概要 ==
=== 起源 ===
ことばに抑揚をつけて行う説教は6世紀の仏教伝来以来古くから行われていたとされ、特に平安時代末期から鎌倉時代にかけてあらわれた安居院流(あぐいりゅう)と寛元年間(1243年-1247年)に園城寺の定円がおこしたといわれる三井寺流が節付説教(唱導)の二大流派として成立した〔釈(2011)pp.9-14〕〔 ディーバー仁美「交感の宗教性-節談説教について」 〕。 安居院流唱導は、天台宗の僧であった澄憲とその子の聖覚により、その基礎が成立し、日本の語り文化に大きな影響をあたえた〔。鎌倉時代初期、聖覚は法然に帰依して、その高弟となった。また、同じ法然門下の親鸞が聖覚の著作『唯信鈔』を熟読するよう自らの弟子たちに求め、自身も註釈書(『唯信鈔文意』)を著すなど聖覚への尊敬の念が厚かったところから、安居院流唱導は浄土宗経由で浄土真宗に入り、重要な役割をになうようになった〔〔。浄土真宗においては、文字の読み書きのできない民衆こそ最大の救済対象であり、易行門として民衆への布教こそ宗門にとって要であると考えられたところから、布教手段として「唱導」(門徒の側からすれば「聞法」)が生命線のごとき枢要な位置を占めたのである〔〔〔安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活動した、『醒酔笑』の筆者で「落語の祖」と呼ばれる安楽庵策伝も、安居院流の流れを汲む説教師であった。釈(2011)p.12〕。親鸞自身もその説教は、節付けしていたと考えられており、また、親鸞は民衆への布教の技術を聖覚から学んだともいわれている〔野間・沖浦(1985)p.253〕。中世において「節付説教」は、こんにちの楽譜ではあらわしきれない独特で小さな節まわしを用いた〔〔現代においての浪曲と同様であり、強い影響がある。〕。説教の基本的なテキストには、本願寺3世の覚如が撰述した『本願寺聖人親鸞伝絵』(通称『御伝鈔』)がある〔室木(1973)「解説」pp.393-399〕。 「説経」が、伴奏楽器を鳴らし、あるいは踊りをともなったりして説経節や説経浄瑠璃などとして芸能化していくのに対し、「唱導」の方は必ずしもただちに芸能化せず、説教(法話)のかたちでのこったと考えられる〔五来(1988)pp.484-485〕。しかし、この説教と説経節・ちょんがれとが結びついて中世の「節付説教」、さらに近世の「節談説教」へと発展していったのである〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「節談説教」の詳細全文を読む
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