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築地正子[ついじ まさこ] 築地 正子(ついじ まさこ、1920年(大正9年)1月1日 − 2006年(平成18年)1月27日、享年八十六)は、日本の歌人。本名は築地 正(ついじ まさ)。 ==人物== 1920年(大正9年)1月1日、東京に生まれた。実践女子専門学校(現・実践女子大学)国文科在学中から作歌を始め、短歌結社「鶯」をへて竹柏会「心の花」の同人となった〔築地 正子『築地正子自筆年譜:築地正子自選100首』歌壇(本阿弥書店)5巻10号88-92頁、1991年〕。戦後、二十六歳の時に熊本県長洲町に両親と共に移り住み、五十年以上をそこで土を耕しながら過ごした。一時期絵画を志したが、熊本移住後に断念している〔築地 正子 『菁莪の花咲く頃』心の花(竹柏会)1196巻6号62−63頁、1998年〕〔雪野 真菰『築地正子論(上)― 三十一文字の自画像』心の花(竹柏会)1303巻5号66-69頁、2007年〕。熊本ではその地になじめず、最後まで東京への望郷の思いを持ち続けた〔築地 正子『花綵列島 あとがき』(雁書館)、1979年〕。彼女は人間嫌いとも言われるほど世俗を退け〔雪野 真菰『築地正子論(下)― 三十一文字の自画像』心の花(竹柏会)1304巻6号68-72頁、2007年〕、家に電話も置いていなかった〔宇都宮 とよ『「花綵列島」の築地さん』心の花(竹柏会)1291巻5号29-30頁、2006年〕〔『新生面=笠智衆さんと築地正子さん』熊本日日新聞 朝刊 (朝一)2007年6月22日〕ところから、「孤高の歌人」〔佐佐木 幸綱 『築地正子全歌集 解説 孤高の歌人』(築地正子 著、砂子屋書房)379-401頁、2007年〕と呼ばれたが、長洲町の豊な自然(鳥や虫、植物など)との交感や老いを題材に、彼女独特の美学や哲学に基づいた清新な歌風の作品を残している。若い時分から「心の花」で頭角を現していたが、第一歌集『花綵列島』を上梓したのは五十九歳の時で、生涯に5冊の歌集しか出版していない。終生独身を通し、八十六歳で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「築地正子」の詳細全文を読む
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