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築城基地(ついききち、JASDF Tsuiki Airbase)は、福岡県築上郡築上町大字西八田に所在する、第8航空団等が配置されている航空自衛隊の基地である。築城飛行場とも呼ぶ。基地の敷地は行橋市大字松原、京都郡みやこ町呰見(あざみ)の1市2町にまたがっているが、正式な住所は築上町大字西八田となっている。滑走路は西南西から東北東に向かって延び、一部が瀬戸内海西端の周防灘に約300m突き出している。南端を日豊本線、北端を音無川が走る。 並行して旧滑走路が現存している。 基地司令は、第8航空団司令が兼務する。また2008年3月から、北九州空港と山口宇部空港の管制業務の大半を請け負っている。 在日米軍の再編に伴い、米軍による飛行機訓練が移転される事となった基地の一つである。 == 沿革 == * 1942年(昭和17年) - 大日本帝国海軍が藤田組の協力を得て建設。大日本帝国海軍航空隊築城飛行場となる。 * 1945年(昭和20年) * 3月18日 - 神風特別攻撃隊菊水銀河隊(高速陸上爆撃機「銀河」)出撃 * 8月7日 - 米軍の空襲を受ける。 * 8月9日 -長崎へ向かう原爆搭載のB-29(ボックスカー)に対し零戦10機を緊急発進させる。 * 9月 - 米軍が接収する。 * 1955年(昭和30年) * 1月20日 - 臨時築城派遣隊が編成、5機のT-33練習機で操縦訓練を開始 * 5月1日 - 日本初のジェット機パイロットが誕生 * 10月12日 - MSA協定により、7機のF-86戦闘機が配備 * 1956年(昭和31年) * 2月 - F-86戦闘機を使用し、第1期戦闘機高等教育が開始 * 3月 - 空自パイロットによるF-86初飛行。式典も行われる * 1957年(昭和32年) * 7月1日 - 米軍より返還 * 10月1日 - 「航空自衛隊」築城基地設置、臨時築城派遣隊を第3操縦学校に編成改称 * 1959年(昭和34年)6月1日 - 第3操縦学校を第16飛行教育団に編成改称 * 1964年(昭和39年) * 2月1日 - 第10飛行隊が新田原基地から移動 * 10月26日 - 第6飛行隊が新田原基地から移動、臨時築城航空隊編成 * 12月28日 - 第8航空団編成(臨時航空隊を改組)、当時は第6飛行隊・第10飛行隊(共に使用機種はF-86F) * 1977年(昭和52年) * 4月1日 - 第10飛行隊廃止 * 8月1日 - 第304飛行隊新編(使用機種はF-4EJ戦闘機) * 1980年(昭和55年)3月 - 第6飛行隊にF-1支援戦闘機が配備される * 1981年(昭和56年) * 2月28日 - 第6飛行隊、使用機種をF-1支援戦闘機に更新(同隊は最後のF-86飛行隊でもあった) * 12月17日 - 航空総隊直轄部隊の飛行教導隊(使用機種はT-2高等練習機)を編成 * 1983年(昭和58年)3月16日 - 飛行教導隊が新田原基地へ移動 * 1988年(昭和63年) - 日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域(一時共同使用)として在日米軍に提供される(施設・区域名: 築城飛行場、''Tsuiki Air Base,'' FAC 5121)〔昭和63年防衛施設庁告示第1号〕 * 1990年(平成2年)1月 - 第304飛行隊、使用機種をF-15J/DJ戦闘機に更新 * 2001年(平成13年)3月 - 第8基地防空隊を新編。 * 2002年(平成14年)6月 - 第8航空団、航空無大事故30万時間を達成 * 2004年(平成16年)8月 - 第6飛行隊、F-2戦闘機の配備開始 * 2006年(平成18年) * 3月2日 - 第6飛行隊、T-2高等練習機の運用終了 * 3月9日 - 第6飛行隊、F-1支援戦闘機の運用終了 * 3月18日 - 第6飛行隊、使用機種をF-2A/B戦闘機に更新 * 2008年(平成20年)3月13日 - 北九州空港及び山口宇部空港における民間離着陸便の管制業務の大半を受託及び管制担当エリア拡大。〔築城進入管制区の拡大について 防衛省 2008年2月14日〕 * 9月11日 - 第304飛行隊所属のF-15J(72-8883号機)が訓練中に電源系統の不具合により日本海へ墜落し、喪失。(パイロットは無事)世界的に希な第八航空団の航空無大事故の記録が途絶える。 *2016年(平成28年)3月 - 第304飛行隊が那覇基地に移動予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「築城基地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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