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篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - 〔)は、日本の柔道家(六段〔)。 青森県東津軽郡平内町生まれ〔、兵庫県神戸市長田区出身〔。身長190cm〔、体重135kg〔。血液型はB型〔。 芸能事務所「エースアラウンド」所属(業務提携)〔。得意技は大外刈り〔。 == 人物 == 父は建築業をしていた。10歳年下の妹がいる〔週刊文春 2015年12月10日号 p.74 - 77「新・家の履歴書」〕。 中学入学と同時に新設された柔道部に入部して(本人曰く「無理矢理入れられた」とのこと)柔道を始め〔、育英高等学校を経て天理大学体育学部へ進学。 大学生の時に才能が開花し、外国人に負けない体格と技術、パワーによって多くの大会を制覇した〔。 天理大学卒業後は旭化成に入社し、シドニーオリンピック100kg超級にて銀メダルを獲得する(後述する誤審問題を参考)。2001年から天理大学体育学部専任講師 兼 同大学柔道部監督〔、2003年に現役を引退した。2004年に同准教授に昇格〔。2008年から2012年まで柔道日本男子代表監督を歴任。2013年3月末で天理大学を退職。 野村忠宏は天理大学の後輩であり、先輩・後輩の枠を越えて仲が良い。 私生活では1995年11月に天理大学の1学年上の女性と結婚〔。旭化成に所属していた時の結婚であり、最初は宮崎県延岡市内で生活していたが、試合で勝てず結果を出せなくなってくると、大学時代の恩師・正木嘉美から「天理で練習しろ」と言われ、妻を延岡に残して、天理大学寮の寮監として天理に移る。一年後には妻も天理へ来て再び同居生活を始めた〔。4人の子(3男1女)の父親でもある〔。3人の息子は柔道をやっているが、篠原が息子達に対して指導することはなく、「顧問の先生や、道場の先生から教わりなさい」と篠原は言っている〔。 娘に注意したいことがある時は、娘に嫌われたくない思いがあるためか、妻を介して間接的に注意させているという。 自宅の換気扇の下でタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいる時が、リラックスできる時間だと語っている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠原信一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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