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篠原国幹[しのはら くにもと]
篠原 国幹(しのはら くにもと、天保7年12月5日(1837年1月11日) - 明治10年(1877年)3月4日)は日本の武士(薩摩藩士)・陸軍軍人である。位階は贈正五位。 ==経歴==
=== 薩摩藩 === 薩摩国鹿児島城下加治屋町で篠原善兵衛の子として生まれる。諱(名)は国幹、通称は藤十郎、冬一郎という。少年時代に藩校・造士館に入って和漢学を修め、ついで藩校の句読師となり、長じてからも和漢の典籍を読むことを好んだ。剣術ははじめ薬丸兼義に薬丸自顕流を、次いで和田源太兵衛に常陸流を学ぶ。江戸に出て練兵館で神道無念流を学んだ。また馬術・鎗術・弓術も極め、文武両道を兼ねていた。 文久2年(1862年)、有馬新七らと挙兵討幕を企てたが、島津久光の鎮圧にあって失敗した(寺田屋騒動)。薩英戦争で砲台守備に出陣。戊辰戦争のとき、薩摩藩の城下三番小隊の隊長となって鳥羽・伏見の戦いに参戦し、その後、東征軍に従って江戸に上った。上野の彰義隊を攻めたときは、正面の黒門口攻めを担当し、その陣頭に立っての指揮ぶりの勇猛さで世に知られた。この後、奥羽へ転戦した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠原国幹」の詳細全文を読む
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