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篠原無然 : ウィキペディア日本語版
篠原無然[しのはらむぜん]

篠原無然(しのはらむぜん、本名:篠原禄次。1889年(明治22年)3月7日 - 1924年(大正13年)11月14日)〔篠原無然 コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)〕は、飛騨地方で活動した教育者である。
兵庫県二方郡西浜村(現 美方郡新温泉町)諸寄(もろよせ)出身。早稲田大学中退。社会教育の先駆者。1914年(大正3年)11月、岐阜県飛騨地方の吉城郡上宝村(現 高山市)にあった上宝村第一小学校(現 高山市立本郷小学校)の代用教員となり、以降飛騨を中心に青年の教育や工女の待遇改善などに尽力。地元の青年たちと乗鞍岳登山道を整備した。乗鞍岳の姫ケ原・土俵ケ原や桔梗ケ原などの命名者としても知られる。雪の安房峠で遭難し、36年の生涯を閉じた。
==経歴==

*1889年明治22年)兵庫県二方郡西浜村(現 美方郡新温泉町)諸寄に生まれる。父・六一、母・つる。
*1903年(明治36年)高等小学校を卒業し神戸の野口貿易商会へ見習社員として入社。
*1904年(明治37年)4月、神戸商業学校( 現 兵庫県立神戸商業高等学校)入学。
*1907年(明治40年)9月、神戸で後藤新平の知遇を得る。この後、健康を害し神戸商業を中退する。
*1909年(明治42年)春、兵庫県美方郡小代村(現 香美町)の小学校へ代用教員として赴任。
*1910年(明治43年)11月『青年団の組織と事業』発行。二学期末に学校を辞任。
*1911年(明治44年)4月、上京する。早稲田大学文科に入学。
*1913年大正2年)修養団機関雑誌『向上』の編集責任者となる。このころ新井奥邃の知遇を得る。山にこもり修養したいとの思いを募らせる。
*1914年(大正3年)冬、上宝村本郷第一小学校(現 高山市立本郷小学校)の代用教員として奉職。
*1915年(大正4年)4月、平湯分校へ転任。この後、飛騨地区の青年教育に熱心に取り組む。社会教育家として飛騨の工女たちの教育指導にも取り組む。
*1923年(大正12年)3月、指導下にあった工女が入水し死亡。これを無然と結びつける排斥運動が活発化する。9月、関東大震災の救援活動のため上京。いったん平湯に帰った後の12月、大阪府住吉村帝塚山にある芸娼妓専門の難波病院に、大阪府の嘱託として勤務。
*1924年(大正13年)10月大阪府を去り上京。その後平湯に帰ろうとして11月14日、雪の安房峠で遭難死。36歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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