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篠原紫雲 : ウィキペディア日本語版
篠原長房[しのはら ながふさ]

篠原 長房(しのはら ながふさ)は戦国時代武将三好氏の家臣で阿波国麻植郡上桜城主。篠原長政の子。
三好長慶の弟・三好実休の重臣であり、実休討死の後は遺児・三好長治を補佐し阿波において三好家中をまとめた。三好氏の分国法である新加制式の編纂にあたるなど、能吏として知られる一方で、阿波・讃岐両国の軍勢を率いてしばしば畿内へ出兵した。
== 生涯 ==

=== 三好実休の重臣 ===
「三好千満(実休)内者」と呼ばれる篠原氏〔天野忠幸「三好氏の権力基盤と阿波国人」(同『戦国期三好政権の研究』清文堂出版、2010年)〕の筆頭格であり、天文22年(1553年)、三好実休阿波国守護細川持隆を殺害し下剋上するとこれに従い、実休の指揮下にあって天文23年(1554年)11月から弘治元年(1555年)2月に播磨国へ、永禄元年(1558年)8月から12月まで摂津山城へ、永禄年中に讃岐国香川之景を攻めるなど、各地を転戦した。
翌永禄2年(1559年)に蓮如の孫にあたる摂津富田教行寺兼詮の娘を室とする〔「私心記」永禄二年六月八日条(『石山本願寺日記 下巻』清文堂出版、1966年) 〕。
永禄4年(1561年)7月に始まる対畠山高政根来寺戦では実休に従って和泉国に出陣し、翌永禄5年(1562年)3月の久米田の戦いにおいて先陣を任され勇戦するが、手薄となった本陣を襲われ主君・実休を失う。長房は兵をまとめ戦場から退却し、実休の兄・三好長慶の指揮のもと同年5月の教興寺の戦いで高政を破った。久米田の戦いの後、長房は剃髪し岫雲斎怒朴と号した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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