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篠原 茂(しのはら しげる、1937年(昭和12年) - )は、日本の映画プロデューサー、脚本家。脚本家名は「しのだとみお」。 == 来歴 == 1937年(昭和12年)生まれ。青山学院大学卒業後、映画会社東映を経て松竹に入社。「松竹テレビ部」でテレビドラマを製作。 1970年(昭和45年)、年末に梅津製作本部長から頼まれ、ピー・プロダクションへ出向。製作主任として、フジテレビの特撮番組『宇宙猿人ゴリ』の第4話から番組参加。 1971年(昭和46年)、3月から松竹テレビ部に戻るが、今度はフジテレビの別所孝治プロデューサーと鷺巣富雄(うしおそうじ)両者から頼まれ7月から再び『宇宙猿人ゴリ』の現場に復帰。番組名は『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』、『スペクトルマン』と変遷するが、以後全編の製作を担当。 1972年(昭和47年)、正式にピープロのプロデューサーとなり『快傑ライオン丸』を担当。以後『風雲ライオン丸』、『鉄人タイガーセブン』、『電人ザボーガー』、『冒険ロックバット』といったフジテレビ/ピープロの作品群をプロデュースするほかに脚本の執筆、またアトラクションなど企画全般を担当する。 1980年(昭和55年)、ピープロの日仏合作特撮企画『シルバージャガー』に参加。徳間大映で『宇宙怪獣ガメラ』(湯浅憲明監督)を製作担当。以後も映像作品に関わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠原茂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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